胎内市が誇る女性武将 弓を引けば百発百中!弓の名手・板額御前の「合格祈願シール」
胎内市中条
合格に向かって全集中!合格祈願シール
板額会では、胎内市の歴史人物「板額御前(はんがくごぜん)」を市内外の幅広い年齢層の方に楽しく知ってもらうために、さまざまな活動を行っています。
その中の一つとして、女性でありながら百発百中の弓の名手であった板額御前にあやかり、受験生の皆さんに心強い味方となってくれる“合格祈願シール”を配布します。
可愛らしい板額ちゃんと、板額御前の夫・浅利与一がキャラクターとなり描かれています。どこにでも貼れるようにと、小さめサイズです。
板額会会長、10代目板額御前ら関係者と共に、胎内市の古刹・乙宝寺において祈祷されていますので、日々の勉強の成果が発揮できること間違いなし!
胎内市内の各中学校の受験生には、学校を通して、板額会から贈呈されています。
10代目板額御前と板額弓人(cute♡)隊員
【乙宝寺で祈祷をされた、板額御前の「合格祈願シール」を無料で配布します。】
期間:12月12 日〜3月31日
ところ:乙宝寺の本堂内にあるお札販売窓口
【10代目板額御前から受験生の皆さんへ】
本番で力が発揮できるように心を込めて作りました。受験生の皆さん、頑張ってください。応援しています」
板額御前の歴史
板額御前は、今から約800年前の平安時代末期、越後を治めていた豪族・城資国(じょうのすけくに)の娘として、奥山荘(おくやまのしょう・現胎内市)飯角(いいずみ)で生まれた。
平氏が全盛期の頃は越後での勢力は大きかったが、平家滅亡後、鎌倉幕府が勢力を強めてくると、支配権を奪われた城氏も鎌倉幕府の支配下に置かれるようになった。
その後、京都で反旗を翻した叔父・長茂(ながもち)が討たれると、板額の甥にあたる資盛(すけもり)も奥山荘で反乱ののろしをあげ、鎌倉幕府に戦いを挑んだ。
一族郎党らと共に決死の覚悟で戦ったが、板額は生け捕りにされ、鎌倉に連れて行かれることとなった。将軍・源頼家に引き合わされた際には、居並ぶ有力御家人たちも驚くほどの堂々とした立ち居振る舞いであったという。
島流しの予定であったが、立派な態度に感銘を受けた甲斐の浅利与一(あさりよいち)が妻にしたいと懇願し、頼家の許しを得て夫婦となった。
板額は子に恵まれ、与一亡き後、娘の嫁ぎ先に身を寄せ、晩年を過ごしたといわれている。
※鎌倉幕府の正史である「吾妻鏡」にその名前が登場しており、敵方の女性が記録されることは非常に珍しく、板額御前の活躍が鎌倉武士の心に強い印象を与えたといえます。
板額の宴より
『板額会』の活動
鎌倉時代の歴史書「吾妻艦(あずまかがみ)」に、女性でありながら百発百中の弓の名手としてエピソードが残っている胎内市ゆかりの歴史人物「板額御前」。
彼女が活躍した時代の歴史を、市内外の幅広い年齢層の方に楽しく知ってもらうための活動をしています。
〇活動内容
・歴史イベント「中秋の名月・板額の宴」開催(毎年9月中旬)
・小学校への歴史出前授業
・親子鎧(よろい)作り教室
・歴史学習会/講演会
・マンガパンフレット作成
・ステージパフォーマンス(寸劇と演武による歴史紹介)
※一緒に活動してくれる方、募集!
(この記事は2020/12/16時点の情報です。現時点の情報と異なる場合がありますので、予めご了承下さい。)